企画 広告制作ノート

企画ことはじめ

PCがまだない、ワープロ時代の企画書作成の様子。
・企画書を書かないと新しい仕事は生まれなかった。
・手書きの原稿用紙に下書きをしていた。
・ワープロを使っていた。
・印刷機は手編み機のように大きかった。

企画を書くようになったのは、いつの頃か。
こう書きながら・・・、改めて、いえ、初めてよく考えてみました。

それは、武田鉄矢さんのお兄さんが経営する広告代理店「コミュニケーション・プランニング:ワークス」。
通称:コム・プランに入社した、最初の頃からでした。

8人の社員がいて、社長と経理以外の6人で8億5千万円を計上した、
業界では、知る人ぞ知る存在の、異彩を放つ伸び盛りの代理店でした。
「あの伝説の!」と、びっくりされることもあるほどです(ツウの業界人にのみですが)。

私も約1億円を売り上げていましたが。なぜこう言えるのかというと、
営業のきっかけは上司が与えてはくれるのですが、
それから先は、一人1社の営業スタイル。
私はコピー専門、いわゆる書く人を目指していたので、社内では編集系ということに。
編集ものはイベントなどに比べ、額面が小さかったので、
私は一人で10社近くをかかえて、必死に売上げを上げていました。

原稿用紙

定期の編集物は入る額は決まっているので、営業しないと新しい仕事は来ない。
プレゼンとお詫び行脚(泣)のとき以外は、本当に誰一人、ついてきてもくれない。

だから、企画書を書くのは社内では当たり前のことでした。
もちろん当時はPCはなく、社内の原稿用紙に手書きで書きつけ、
忙しい人は経理の方や、女性社員に打ってもらったりすることもありました。

私が仕事を始めた当時は、ワープロが使われていて、
ふにゃふにゃしたEPレコードのようなシートを差し込んで保存していたんです。
手書きの企画書をワープロに落とし込むと、
手編みの機械みたいに大きな印刷機が、左に右に糸を縫うように動きながら、印刷を出してくれた。
出来上がりの印刷物を見ながら、みんな、フォントの大きさや、インクのノリを、じーっと見つめて、
「この文字の書体がカッコイイんよね」とか、「インクがきれいやね」みたいな。。。
どんだけかっこよく仕上がっているかを、自慢してたりしていました。

今のように考えながら打つ自分専用のPCもなく、忙しすぎて時間もないわけですから、
朝の営業会議で、案件の議題を出して、みんなからアイデアをもらって、
もくもくと原稿用紙に企画書を書き上げる。詰めて書きこむのではなく、
そのままでも企画書として通る、デザイン配置された手書きの企画書を作り、
ワープロで仕上げるという方法でした。

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miki

○早大で演劇活動のかたわら学生ライターとして活動。帰福後、武田鉄矢の兄の広告代理店に勤務。営業力とノウハウを磨き、ライターとして起業。
○企画からの依頼が多く、編集・取材で手掛けた冊子は1000冊超。付随するイベントも多数。文章化する力、販売促進プランを軸にした企画、コミュニケーションでつながることが強みです。
○文章づくり、書くことは、極める厳しさもありますが、企画やWebの世界は果てしなく広がる感じ。地道に積み重ねてきたサイトのご相談も増えています。

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